
ゲッサンにて連載中の島本和彦「アオイホノオ」通算106回目です。
いよいよ新連載に向けて動き出した焔。
一番描きやすい絵柄でネームを作った焔だったが、その初号試読で仲間たちにダメ出しされてしまう。
津田さんにも酷評され、ギャグがないと作品のリズムがつかめない事を実感した焔。
自分に何が出来て何が出来ないんを整理し、原作をベースにしてそのパロディー漫画を得意なギャグ入りで描く事を決意した焔だったのだが…!?
地方に住んでいる若者は東京を目指す――。
1980年代初頭の若者はアクティブで、特に東京在住の者たちは明らかに有利な状況にあった。
漫画・アニメ・特撮映像業界においても東京のアクティブな若者たちは現場に押し掛けたのだという。
アニメスタジオに見学に押しかけ、貴重な資料を手に入れたり、貴重な証言を聞いたり、ムーブメントをファン側の立場から作り出したり協力したりやりたい放題だったらしい。
そんな当時の背景を説明するところから始まった今回ですけど、アニメスタジオの近所に住んでいたという知り合いから色々話を聞いた事があります。
国際映画社が潰れた時にセル画を拾いに行ったとか言ってましたけど、当時は撮影済みのセル画はゴミ扱いだった様で、かなり勿体ない事になっていた様です。
問題のネームが完成し、小学館に郵送した焔。
もし何かあって届かない時はまたコピーして送って4日以上のロスになるのだという。
FAXなどという手段はなく、電話代も高い事からおいそれとこちらから電話も出来ず心配する焔。
そんな中、雑誌で東京でしかやっていないイベントやTV番組を確認しヤキモキする焔だが、ビデオデッキを持って上京して録画して帰りたいと思ったらしい。
今度東京に行く時に高橋に借りて10kg以上ありそうなビデオを持っていく事を考えた焔。
何か自分の事を言われているみたいな話ですけど、当時東京にいた自分は実家に帰る際にはビデオデッキを持って行ったんですよね。
2台目を買って実家に設置するまで余計な苦労をしたのを思い出しますけど、とある知り合いがアニメをダビングしたいからと自分のビデオデッキを持ち込んで来た時はさすがにビックリしましたね。
来るとは聞いていたけど、ビデオまで持って来るとは聞いてないぞ、と(笑)。
思えばそんな彼等こそ今回の「アオイホノオ」で言う所のアクティブな連中だったんだと思いますけど、名古屋の知り合いが関東地区バージョンのアニメを録画したいからとビデオデッキをウチに置いて行った事もあります。
何だかんだで代録する羽目にもなったりした訳ですけど、代わりに地方でしかやっていない番組を撮ってもらったりと、今では懐かしい限りです。
まあ、全てビデオなので今ではどうしようもないんですけどね(笑)。
当時小学館からTeLePAL (テレパル)という隔週のTV雑誌が出ていたのですが、名古屋の友人は東京地区をフォローする為に関東版もわざわざ取り寄せていたんだとか。
アニメの扱いがよく、当時は「タッチ」「うる星やつら」「めぞん一刻」といった作品のカセットレーベルが付録になったりした正にアニメファン御用達な雑誌だったのですが、これが月刊誌になってしまった時は何か色々と終わってしまったと感じたものです。
ちなみに自分が録画したアニメで一番レアなのは何かなーと考えてみるに、「うる星やつら」の本放送の録画テープでしょうか。
ゲームウォッチのCMとか入ってますけど、それ以外だと地方の人に代録してもらった「キャンディキャンディ」なんてのもあります。
まあ、今では肝心のデッキがないんでテープだけあってもどうしようもないんですけどね(笑)。
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